LOLA T9300 Cosworth(1993)

ローラT9300コスワース・フォード

カテゴリー:CART

 
1992年ウィリアムズルノーFW14BでF1王者になったナイジェルマンセルは当然翌年もディフェンディングチャンピオンとしてF1界に留まると思われたが、ルノー、エルフの意向、アラン・プロストの計略、アイルトン・セナの移籍問題の揺さぶり、何よりチーム代表のフランク・ウィリアムズとの関係悪化により2度目のF1引退宣言をすることになった

ローラT9300 コスワース
 

この会見には裏話があって会見直前チームの関係者がマンセルに対して契約は全てクリアになったので会見をやめてくれといったが、マンセルはそれを拒否、引退会見で言いたい放題
 
「ハンガリーGPの3日後セナが無報酬でもいいから乗りたいと言っているので来期の報酬を大幅に減額することを了承するべきだ、そうしないとその晩にセナと契約する」とか「また私が知る限りFW15も1993年に活躍を見せてくれるものと信じています」とアラン・プロストに対しても皮肉たっぷりのメッセージを残した、実際プロストはFW15Cでタイトルを奪取するのだが全盛期の力は無く無様にタイトルを獲ったようにしか見えなかった
 
そしてマンセルはF1にとりあえず別れを告げアメリカのオープンホイール・カテゴリーPPGインディーカーワールドシリーズ(CART)に参戦を表明した
 
 
マンセルが所属したチーム、ニューマンハースは俳優のポール・ニューマンとカール・ハースの共同オーナーチームだった
当時のチームメイトは元F1王者マリオ・アンドレッティ
 
 
ここで面白いのは当然サーキットコースの方が強いと思われていマンセルだが意外と勝ち星を挙げていない
最初のサーファーズパラダイスは市街地コースで初優勝、しかしその後オーバルで大クラッシュを演じたりしたもののオーバルコースでの速さが目立った
 
圧巻だったのが93年マンセルは早々にCART王者に就く、これにより2年連続でF1&CART連覇した王者として記録に残った(この時はまだプロストはF1王者になっていないのでマンセルが現役王者としてCARTを制覇したことになる)
 
そして94年アイルトン・セナがウィリアムズFW16ルノーで事故死したのをきっかけにF1界からラブコールを受けたマンセルはスポットでF1に復帰、最終戦では優勝を飾っている
 
95年に引退して以来マンセルはゴルフ場のオーナーになったり、自宅に踏み込んできた強盗と格闘したりと色々と話題を振りまいていた
 
 
レース界の方ではジョーダンのテストドライブをしたりミナルディ2シーターに乗ったりしていたが2005年11月GPマスターズに参戦、52歳を迎えたマンセルは南アフリカ・キャラミサーキットでポールポジションから優勝!3500cc、600馬力のフォーミュラマシンを操った
 
ローラT9300:
全長:mm
全幅:mm
全高:
ホイールベース:mm
エンジン:フォードコスワースXB
V型8気筒 シングルターボ
排気量:2638cc
最高出力:over750PS/12000rpm

管理人メモ:ナイジェルマンセルマシンが見れるただそれだけで大阪から車を飛ばしたあの頃(2004年)が懐かしいです

 
ローラT9300 コスワース
ローラT9300 コスワース
ローラT9300 コスワース
ローラT9300 コスワース
ローラT9300 コスワース
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